開催地紹介ストーリー

【第42回全国城下町シンポジウム島原大会・開催地紹介ストーリー】

今年度の全国城下町シンポジウムの開催地である島原という地域の隠れた魅力を多くの方々に発信するために、この街にちなんだ短編小説を書き下ろしていただきました!

『カラフル~母と大地の贈り物~』
著・岬えいみ(東京作家大学 学生)
【ジャンル】ラブ・ミステリーテイストのご当地ストーリー
【テーマ】癒しと再生
【舞台】長崎県・島原半島

是非ご一読ください!

 

 

【タイトル】

『カラフル~母と大地の贈り物~』

著・ 岬(みさき)えいみ

                                         

 

【登場人物】

 

・坂本(さかもと) 海(うみ)花(か)(27)……笑顔が魅力的な女性だが、仕事に恵まれず、孤独で心が疲れている。女手ひとつで育ててくれた母は、数年前に病気で他界している。東京で非正規職に就いていたが、雇い止めに遭う。

 

・中村(なかむら) 大(だい)樹(き)(27)……島原市にある農家の一人息子。イケメンだが口下手で、不器用。当然、実家を継ぐものと思っていたが父親に甘えの気持ちを指摘され、反発して自分を見失っている。現在はタクシーの運転手をしている。短気と意地っ張りは父親譲り。

 

・中村 雅(まさ)子(こ)(53)……大樹の母親。おおらかで明るい肝っ玉母さん。料理が得意。

 

・中村 茂(しげる)(55)……大樹の父親。頑固でパワフルな地元のリーダー的存在。将来を甘く考えている息子がもどかしく、厳しく当たってしまう。

 

・上(うえ)田(だ) 航(わたる)(17)……大樹の従弟。高校二年生。サッカーで足を骨折して短期入院中。

 

 

 

【あらすじ】

長崎県・島原半島の海岸沿いを、黄色の塗装鮮やかな島原鉄道が走っていく。

幸福の黄色いハンカチがたなびく「日本で一番海に近い駅」大三東(おおみさき)駅で、一人旅の女性・坂本(さかもと)海(うみ)花(か)が美しい景色にのまれ、立ち尽くしている。頬にはいつしか涙が流れていた。

 

その姿を見かけた地元のタクシー運転手・中村(なかむら)大(だい)樹(き)は、海花の悲しげな様子を見て心配になり、声をかける。だがその声に海花は驚き、手荷物を海に落としてしまう。

 

途方に暮れる海花。不器用なふたりは反発し、どっちのせいだと喧嘩になるが、大樹は困っている海花を見捨てず、手を差し伸べる。荷物については警察に届け、回収されたら大樹の携帯電話に連絡をもらうようにして、ひとまず飲食店で「島原そうめん」を食べながら話し合う。

海花は、旅の目的である一枚のメモを見せ、記載のものを探していることを話す。メモには「島原そうめん、雲仙ハム、具雑煮」と乱れた字で走り書きされていた。

大樹は「食いしん坊な理由だな」と首を傾げながらも、観光業の担い手として道案内を申し出る。

 

まずは「雲仙ハム」の販売店へ。道中、道行く人々はとても親切で優しい。雲仙岳ロープウェイ、小浜温泉の足湯、原城跡などの名所を巡り、強ばっていた海花の表情も解けてくる。

広くはないが、なんでもある楽園。お年寄りも子どももエネルギッシュで笑顔が溢れ、心に余裕がある――訪れる人に元気をくれる、それが島原半島だ。

 

大樹の母・雅(まさ)子(こ)から、大樹の従弟の航(わたる)が入院している病院まで迎えにきてほしいと連絡が入る。海花は大樹から「航に職業の話を聞かせてやってほしい」と頼まれ、病院に同行する。

高校生の航は都会に憧れており、海花に東京の話をせがみ、キラキラした視線を向けてくる。若者の夢溢れる姿に触発され、海花は気力を取り戻し、笑顔を見せる。

 

病院で合流した雅子は、海花の事情を聞いて自宅へと招く。雲仙ハムを使った料理や、具雑煮を作ってくれる。具雑煮は各家庭によって味が違うというが、海花は、その味に覚えがあった。昔、海花の母が元気だった頃、作ってくれた味に似ていたのだ。(海花の母は、病気で亡くなっている)

衝動的な旅で、実は宿の予約もしていなかった海花は、大樹の実家に泊まることになる。

 

その夜、大樹は地域の会合から戻って来た父親・茂(しげる)と揉める。頑固な父とそりが合わず、意地を張っているのだ。海花が「ずっと家族一緒にいられるわけじゃない。ちゃんと向き合ったほうがいい」と言うと、大樹はカッとして怒鳴りつけてしまう。気まずくなるふたり。

 

翌日、東京へ帰ることにする海花。警察にお願いしていた荷物も、回収が済んだと連絡があった。世話になった中村家を後にすると、すぐに大樹が追いかけてきて、島原市内へと一緒に繰り出す。向かったのは、郷土の名物スイーツ「かんざらし」の店。ほんのりと甘い優しい味に、海花は泣いてしまう。

 

――海花が、この地を訪れた本当の理由を語る。

東京で雇い止めに遭った海花は、心が疲れ、生きる意味を見失っていた。女手ひとつで育ててくれた母は、二年前に病気で他界している。海花は孤独だった。

母の遺品を眺めていると、走り書きのようなメモを見つけた。「島原そうめん、雲仙ハム、具雑煮」……どれも島原半島の郷土料理。島原は昔、母が都会に移り住むときに引き払ってそれっきりだという縁のある土地なのだ。母はこのメモをどんな気持ちで書いたのか気になった。そうして、なにかに急き立てられるように、無我夢中で旅に出た――。

 

心が弱っているときにあのメモを見つけたのは、天国の母が「元気出せ」と導いてくれたのかもしれない。母もきっと、海花に食べさせたいという思いから、メモを記したはずだ。

海花は、初対面のとき心配して声をかけてくれた大樹に、失礼な態度をとったことを謝る。

 

大樹もまた、昨夜、海花の気持ちを考えず乱暴な言動をとったことを詫びた。自分は農家を継ぐつもりでいたのに、父親から「甘えるな」と言われ、意固地になっていたこと、目指すべき道を見失っていたことを打ち明ける。

海花は、昨晩少しだけ耳にした、大樹の両親の気持ちを伝える――「そりゃあ息子が後取ってくれりゃ、嬉しいがね。農家の息子だからというだけで、継いでほしくはない。そんな甘い世界じゃない。自分の意志でやりがいを見つけ、選んでほしいんだ」と。

 

最後に、再び大三東駅へ立ち寄り、海花が願い事を黄色いハンカチに記す。そして昨日までとは違った前向きな心で、ふたりは別れる。再会を確信しながら。

 

 

 

■ストーリー(本文)                              

 

人生に正解はない。

けれど節々のタイムリミットのようなものはたしかに存在しているし、一度大きくボタンをかけ違えたら、すんなり正位置に戻すのはなかなかに難しい。

精神的に追い込まれて、気持ちの余裕を失って……空っぽになった坂本(さかもと)海(うみ)花(か)は、なにかに導かれるように、ふらりと旅に出た。

これは、ちょっぴり心が弱りかけた若者が、非日常的な空間で心を潤し、リセットするまでの物語。

 

 

――五月のある日。熊本県からフェリーに乗り、長崎県にある島原半島・多比良(たいら)港へ。

多比良駅からは黄色の塗装鮮やかな島原鉄道に乗って、片側には広大な有明海、反対側には雄大な雲仙岳を眺めながら海岸線を進む。

「……」

旅とは本来、楽しいものだ。だが、海花の顔色は冴えない。

カメラを片手に初めての景色を見るのも好きだったはずなのに、今は心が追いつかない。愛用のカメラも、誰もいないあの家に置いてきた。

『ここではない、どこかへ行きたい……』

とある「きっかけ」も重なって、ほとんど衝動的に東京を飛び出したものの――。

ふいに我に返り、不安になる。なんの用意もせずに来てしまって、この先どうしよう。

とりあえず栄えていそうな島原市まで行ってみるか、それとも引き返すべきか……。

迷っている間に電車は小さな駅に着き、しばらく停車したのち、また次の駅に向けてゆっくりと走り出す。

そのとき、過ぎゆくホームに設置された駅名標の文字が、ぱっと目に飛び込んできた。

――次の停車駅は「大三東(おおみさき)駅」。

通称、幸福の黄色いハンカチがたなびく「日本で一番海に近い駅」。たしかSNSなどで話題になっていた場所だと思う。

手提げ鞄を引き寄せ、下車の準備をした。ここまで来たら、偶然に身を任せてみるのも悪くない。

 

「――!」

降り立ってすぐに、別世界のような大自然に圧倒された。

ホームには屋根も柵もなく、その真裏には、有明海が直接に面している。

本当に、海が近い……。視界一杯に広がるダイナミックな光景は、まさに空と雲と海の大パノラマだ。

堤防のごときホーム中央には、いかにも撮影映えしそうでロマンチックなベンチがひとつ。

さらには神社のおみくじかけのような枠も設置され、たくさんの黄色いハンカチがかけられて、コントラストも美しく風に揺れていた。駅舎に掲示された説明文によれば、ここは願いをかける「祈願スポット」であるらしい。

先ほど走り去っていった電車から降りたのは自分ひとりで、周囲には観光客はおろか、住民の姿も見当たらなかった。お昼時だから、みんな家に戻っているのかもしれない。

独占状態にあるホームを端まで進んでいって、海を眺めて立ち尽くす。

ただ自然に抱かれているうちに、美しい景色にのまれていた。

肌を撫でる優しい汐風。まるで世界でたったひとり、楽園に立っているかのような不思議な感覚――すぅっと両手を広げて、大気に身を任せたくなってくる。

(あぁ……気持ちがいいなぁ……)

いつしか、頬は涙に濡れていた。

 

何分くらい、そうしていたのだろう。

ひときわ強い風が吹き、海花はよろめいた。すると――。

「おいっ!」

「きゃあっ……!」

突然に肘を引かれ、心臓が跳ね上がる。小さく悲鳴を上げながら、ぱっと振り向くと、すぐ横の至近距離に、屈強でいかつい顔をした男性が立っていた。

「な、なんですか?」

掴まれた腕が痛いし、睨みつけられているようで反発心が湧き上がる。

警戒を強めて尋ねると、男性はよく響く低い声を無遠慮にぶつけてきた。

「あんた、なにやってるんだ!? そんなすれすれに立ってたら危ないだろうが!」

「は、はぁ?」

頭ごなしに怒鳴られて、海花の目が吊り上がった。

「な……なによ、突然。手を放してください。痛いったら!」

嫌悪感をあらわに、手を振りほどく。男性は舌打ちをした。

「なにって……今、海に落ちそうになっていただろ」

「落ちませんよ! ちょっとぼうっとしていただけで……」

そこまで言って、急に自信がなくなり、語尾がしぼむ。

そんな海花を、男性はいぶかしむように睨みつけている。まだ疑っているのだ。

「それなら、誤解されるようなことをしないでくれ。迷惑だから、とっとと行った行った」

海花の視線が揺れた。こんなに遠くまで来てもなお、必要とされず拒否されるなんて――傷ついたような、諦めたような色が瞳に浮かぶ。

男性は、ハッとして口をつぐんだ。言い過ぎたと思ったのだろう。だが、海花は目を逸らした。

「わかりました……! もう、消えますから」

「あ、えっと、その……」

なだめるかのように手が伸びてきたが、海花は激昂して叫んだ。

「寄らないで! 失礼な人! 次の電車が来たら、それに乗って帰ります!」

海花は威嚇するように目の前を手で払うと、きょろきょろと周囲を見渡した。さっき驚いた拍子に、持っていた鞄を手放してしまったのだ。

そして視線は、思わぬ方向へと流れていき――。

「あ、あぁーーーー! 私の荷物が……!」

なんと、先ほどまで携帯していた手提げ鞄は、海に落ちて波の合間を漂っていた。

目の前が海といっても、ホームと海面との段差はかなりある。クラゲのようにぷかぷかと揺れるそれは、手を伸ばして届くものではない。

「ど、どうしてくれるの! あなたが急に驚かせるから」

「いや、だって……そっちが勝手に放り投げて……」

「まさかこんな……あぁもう、最悪……」

がっくりと肩を落としたが、このまま話していても埒があかない。男性のことは放っておいて、改札口のほうへと歩きだした。

なにか引っかけて引き寄せられるような棒を借りてくるつもりだった。しかし、この駅は無人の駅。……一体、どうしたらいいんだろう。

「どこに行くんだ?」

諸悪の根源から引き止められて、ムッとして答える。

「どこでもいいでしょう」

「自分で取るのは無理だ。警察に届けよう。俺も一緒に行くから」

放っておいてくれと思いながら振り向くと、想定外に真剣な顔をした男性と目が合う。

男性はぐっと唇を引き締めて、ぺこりと頭を下げた。

「……悪かった。驚かせたことは、謝るよ」

「え、えぇ……? いや、こちらこそ?」

あっさり謝られて、動揺してしまう。なんだ、意外といい人なのかもしれない。

男性は、中村(なかむら)大(だい)樹(き)と名乗った。年齢は海花よりも年上か、そう変わらないように見える。

職業はタクシー運転手らしい。示されたほうに視線をやると、線路を挟んだ向こう側の道に、車を駐車してあるのが目に入った。

意地を張っても、いいことはない。彼の案内で、最寄りの交番へ向かうことにした。

 

警察に遺失物の届け出をしたが、すぐの対応は難しいとのこと。もしかしたら、漂流する荷物はもう岸から離れてしまっているかもしれない。

タクシーのところまで戻ってきたが、運転席には乗り込まずに、彼は言った。

「えっと……坂本さん。荷物、もし回収できたら、俺の携帯に連絡くれるって」

「ありがとうございます……」

大樹が話をつけてくれたとはいえ、回収までどれくらい時間がかかるのだろう。もう諦めるべきかと考えていたそのとき、「ぐうう」と低い音が響いた。海花のお腹の音だ。

少しの沈黙のあと、彼が口角を少し上げながら、遠慮がちに言った。

「……昼飯、一緒にどうかな。お詫びに奢るよ」

 

 

「水の都」といわれる島原は、手延べそうめんが有名らしい。市内のお店に連れていってもらい、ご馳走になる。

今日はカラッカラの晴れで暑いくらいだから、冷たくてつるつるのそうめんは最高に食欲をそそった。コシがあり、のど越しつるりと爽やかで心地がいい。

海花が黙々と味わっていると、向かいの席から声がかかる。

「元気、出た?」

ちょっとドキッとした。

「……そんなに、疲れてるように見えます?」

「最初から、落ち込んでる風に見えたよ。目の下のクマもすごいし」

本当だろうか。照れ隠しも兼ねて、目をごしごしと擦った。

人に温かい言葉をかけてもらったのは、何年振りだろう。なんだか胸が高鳴ってしまう。

思い返せば、先ほどの乱暴だと思えた行動も、あまりに悲壮な雰囲気を出していた海花のことを心配してくれたからこそ。それなのに尖った態度で接してしまい、申し訳なく思えてくる。

他愛ない話をしているうちに、ふたりはすっかり打ち解けていた。彼は日に焼けていて、背広を脱いだ肩幅はがっちりしている。顔の彫りが深く、よく見ればイケメンの類だ。

そうめんをきれいに完食したころ、彼は言った。

「荷物、すぐには連絡来ないと思うけど……」

行くところはあるのかと聞かれて、そういえばと思い出し、ポケットから一枚のメモを取り出した。このメモだけはずっと身に着けていたので、携帯電話と財布をなくしても、唯一手元に残ったのだ。

四つ折りになっていた紙を開くと、中には「島原そうめん、雲仙ハム、具雑煮」と乱れた字で走り書きされている。それを見た大樹は、首を傾げた。

「なんつーか……ひょっとして、食いしん坊?」

「違います」

「冗談だけど」

海花は頬を膨らませたが、彼はつぼにはまったのか、しばらく肩を震わせていた。

食い倒れの旅に来た観光客と勘違いされているようだが、まぁ知らずにこれを見たら、誰しも同じ感想を抱くだろう。

事情はあるのだが、そんな個人的な理由をわざわざ他人に説明する必要もない。黙っていると、そのまま話は流れていく。

「せっかくだから案内しようか? 俺、職業があれだから、遠慮なく使ってくれよ。暇だし」

と言って、彼が店の外に停めてある自分のタクシーを指す。

「でも、さすがに悪いし……他にも観光客、いるでしょ?」

「予約があるわけじゃなし。いくらでも代わりはいる。……うだつの上がらない、ちっぽけな人間さ」

少し投げやりな声音。だけどその言葉がなぜか心に響いて、親近感のようなものがひとつ、湧いたような気がした。

「それじゃあ、お願いしようかな……代金は後払いでいい?」

「ああ、安くしとくよ」

見知らぬ人にこんなお願いをしてしまうなんて。

やっぱり旅は、開放的な気分になれる。

 

「メモにあった島原そうめんは、さっき食べたから……次は雲仙ハムだな」

彼の運転する貸し切りタクシーで半島内を巡りながら、観光案内もしてもらう。

「ハムは地元のスーパーとかで売ってるけど、他の地域だと、取り寄せになるのか?」

「東京ではあまり見ないなぁ。長崎料理のお店に行けば、あるのかもしれないけど」

島原はキリシタン関係の歴史で有名であるとともに、日本最初の国立公園に指定された雲仙などがあり、美しい自然の残っている地域だ。

一九九〇年から五年間にもおよぶ普賢岳の大噴火は大きな災害だったが、それゆえ肥沃な土壌を生かした農業が盛んで、半島内を流れる湧き水、各地に湧き出す温泉なども火山活動の恩恵のひとつ。こうした特徴から、日本第一号の世界ジオパークにも認定されたのだと。

「ジオパークか……たしかに鉄道で来るときも、ずっときれいな景色が続いてた。極めつけは大三東駅! あの景色を見たとき、吸い込まれるような気がして。圧倒されちゃった」

「だろ? いいところなんだよ、島原は」

嬉しそうな表情を浮かべる彼は、地元に誇りを持っているのだろう。

間もなくして、雲仙ハムの販売店に到着し、オレンジ色のビニールに包まれた、どこか懐かしいパッケージの商品を購入した。

「ここまで来たら、天上の景色も見ていかないと、だろ?」

麓の駐車場に車を停めて、雲仙岳ロープウェイにふたりで乗り込む。

仁田(にた)峠(とうげ)から妙見岳(みょうけんだけ)まで、約三分の空中遊覧。

「うわぁ……すごい!」

初夏の今、ゴンドラの下には濃いピンク色のツツジ「ミヤマキリシマ」と、新緑の絨毯が贅沢に広がっている。目に飛び込んでくるグラデーションは、息をのむほど美しかった。

展望所からの大パノラマにも、まばたきを忘れるくらい興奮してしまう。

「麓にあるのが雲仙湯町。あっちに見えるのが噴火によってできた平成新山で……」

ボランティアガイドのように滑らかな大樹の解説によれば、雲仙岳周辺は、春はツツジ、夏は緑、秋は紅葉、冬は霧氷と、四季折々の姿を見せてくれるらしい。

すれ違う人々も温かく、誰もがにこやかに挨拶を交わし、遠くからでも「こんにちは、よい旅を」と手を振ってくれて――知らず海花の顔にも、朗らかな笑顔が浮かんでいた。

いつの間にか、心から旅を楽しんでいることに気づき、驚く。島原に来る前までは、あんなにも気持ちが沈み、強ばっていたはずなのに――。

感動も冷めやらぬうち、さらに車を走らせ、半島西側にある小浜温泉へと向かった。

豊富な源泉が湯棚を流れ落ち、立ち上がる湯けむりは圧巻だ。

「ここは百五メートルある、日本一長い足湯。持ち込みの食材を高温の蒸気で蒸して食べることもできる」

大樹と並んで熱いくらいの湯に足を浸し、ほっと息をつきながら、

「日本一がいっぱいあるね」

「ほんとだな」

なんて言って笑い合う。ここでのんびりと橘湾の夕日を眺めながら、大切な人と一緒に過ごせたら、どれほどステキなことだろう。

「島原半島には西岸に小浜温泉、中央に雲仙温泉、東岸に島原温泉がある。三つの源泉はそれぞれ泉質が違う。ぜひ、全部入って比べてみてほしい。それからキャンプもできるし、グランピングっていうのも流行ってて……」

あまりの見どころの多さに、もはやうんうんと頷くことしかできない。広くはないが、なんでもある楽園。お年寄りも子どももエネルギッシュで笑顔が溢れ、心に余裕がある――訪れると元気をもらえる、それが島原半島。海花はこの土地が、すっかり好きになっていた。

 

半島の南をぐるりと回り、原城跡へと足を運んだ。島原の乱で有名な世界文化遺産だ。

鈍色の歴史を感じる、城跡の情緒ある風景。開放的な空間で風を感じながら、しみじみと呟いた。

「あぁ、なんだか癒されたって感じ……自然も人も、みんな優しくて、あったかいね」

「基本、人が好きなんだよ。ここの人たちは」

この寛容さには、外国の新しい文化や価値観を柔軟に取り入れてきた歴史が関係しているのかも……なんて、つい職業病が出てしまう。

海花の前職は、営業も取材も撮影も執筆も、全部をかけ持つ下っ端の編集職だった。やりがいを搾取されて体を壊し、二度と編集なんかやるもんかと思っていたはずなのに、カメラとペンがこの場にないことが今は悔やまれる。

きっと自分は、仕事自体は嫌いじゃなかったのだ。胸の奥に、小さな芽がむくりと頭を起こしたような、不思議な感覚が生まれていた。

――と、くぐもったメロディ音が、辺りに鳴り響いた。

「ん? あぁ、おふくろから電話だ。ちょっとごめん」

大樹はズボンのポケットから携帯電話を取り出すと、耳に当てた。

「――いや、サボってないって。東京から来た人が困っててさ……。は? まぁ、女の人だけど。違っ、ナンパじゃねーし!」

どうやら電話の向こうの彼の母親に状況を説明したら、いじられているらしい。

それからしばらく問答を続けて、電話を切った大樹は、少し困った顔をこちらに向けた。

「従弟が入院してる病院に、これからおふくろが見舞いに行くらしいんだけど……こっちの仕事が終わったら、車で迎えに来いってさ」

「いいんじゃない? そういえば、もうこんな時間……」

茜色になりかけた空を見上げて、荷物を紛失中であったことを思い出す。今夜の泊はどうしよう、交番に行ったら相談に乗ってくれるだろうかなどと考えていると、

「それで、ちょっと頼みがあって……」

ぽりぽりと頭を掻きながら、彼が言う。

「その従弟、航(わたる)っていうんだけど。高校生で、ちょうど進路について考える時期なんだ。いい機会だから、よかったら東京の話、聞かせてやってくれないかな……」

今日中に東京に帰る必要はなく、時間に余裕があることは、彼に伝えてある。

若者の進路相談に乗れるかどうかはわからなかったが、断る理由もない。

「お安い御用です、行きましょう」

ふたつ返事で引き受ける。再びタクシーに乗り込んで、大樹は勤務終了の報告のため一度会社に戻り、そこから彼自身の車に乗り換えて、病院へと向かった。

 

「へー! 東京の社会人! 女一人旅、かっけー!」

「こら航。失礼なこと言うなよ?」

「言わないよ、美人のお姉さんだし。大樹兄だって、ナンパしたくせに」

「違うって!」

病室のベッドで包帯を巻いた足を吊られている男の子・航は、爽やかで素直そうな少年だった。サッカーの練習中に骨折してしまい、手術をしたらしい。

明るく活発で、突然現れた海花にも礼儀正しく接し、キラキラした視線を向けてくる。

「俺、コンピューターとか機械いじりが好きだから、将来は半導体とか部品に関わる職業もいいかなって考えてるんだけど……都会に行ってIT系の会社に入りたい気もするんだ。東京ってどうかな? こっちとは人種が違うとかある?」

「ないない。準備は必要だと思うけど、選択肢は広がるかもしれないね」

東京はいいことばかりではないが、夢を壊すようなことは言わないほうがいいだろう。成功を掴めば、ビッグになれる。それはたしかだ。きっと彼なら自分の力で掴み取るはずだ。

挫折して傷心の旅に出たこちらの事情を知らない航は、「一人前の大人」として海花のことを尊敬してくれた。

(私も高校や大学生の頃は、夢に満ち溢れて、ワクワクしていたなぁ……)

またやり直せるだろうか。一からでも、がんばりたい。海花は、いつしか気力が充足してくるのを感じていた。

 

 

「ありがとねぇ。航ちゃんも喜んでいたわ」

病院で合流した大樹の母は、雅(まさ)子(こ)というらしい。

「うちの大樹が迷惑かけたみたいで、ごめんなさいね」

「いえ、かえって中村さんには、お世話になっている身で……」

腰の低い年配の女性に恐縮し、置かれている状況の説明と簡単な自己紹介を済ませる。

こちらがまだ宿の手配をしていないことを知ると、なんと自宅へと招いてくれた。最初は申し訳ないと固辞しようとしたのだが、警察からの連絡待ちであるということと、気のいい雅子の強い勧め、大樹の「それがいいのでは」という後押しもあり、甘えることになった。

 

中村家は大きな農家で、ばれいしょやいちごなど、さまざまな農作物を栽培しているのだそう。広い敷地に建つ平屋の家屋は、古めかしくも趣があり、立派だった。

雲仙岳で買った雲仙ハムをはじめとして、メモにあった「具雑煮」も、雅子が用意してくれるという。

あれよあれよという間に、お座敷のテーブルには盛りだくさんの郷土料理が並んだ。

「ん~! ジューシー……!」

雲仙ハムのソテーは、うまみがあり香り豊か。味がしっかりしていて食べ応えがある。どこか懐かしい味わいに、海花は舌鼓を打った。

そして、各家庭によって味が違うという具雑煮。とにかく具が多く、海と山の幸がたっぷり入っている。丸餅に、鶏肉、炙った穴子、椎茸や蒲鉾、大根や里芋などの野菜がふんだんに盛り込まれ、素材のダシが染み出している。

海花は、ほくほくと湯気を立てるスープをひとくち啜って、一瞬動きを止めた。

「どう?」

雅子に尋ねられ、慌てて「とてもおいしいです」と答える。それからは、ふぅふぅと息を吹きかけ表面を冷ましつつ、夢中で汁を味わっていく。

海花は、その味に覚えがあった。昔、母が元気だった頃、作ってくれた味に似ていたのだ。

「これ、私の大好きな味……」

とろけそうになりながら満面の笑みを浮かべると、ほっとした様子の雅子が顔をほころばせた。

「大樹。あんた、可愛い人を見つけたじゃない。ブラブラしてたかいがあったね」

「うるせぇ」

そのうちにこの家の大黒柱が地域の会合を終えて帰ってきて、一緒に地元の銘酒を飲み交わす宴会となった。

茂(しげる)という名の大樹の父は、息子によく似ていて、豪快で頼りになる雰囲気を持っている。きっと地元のリーダー的存在なのだろう。

楽しく交流しているうちに、海花は少々、飲み過ぎてしまった。

 

うとうとしていて、怒鳴り声のような音が聞こえて目が覚めた。

どうやらテーブルにつっぷして眠っていたようだ。肩に毛布がかけられている。気を遣ってくれたのは、雅子だろうか。

「――! ……いい加減にしろ!」

太い雷のような声。茂の声だと思う。ふすまを隔てた隣の部屋で、大樹と茂が口喧嘩をしているらしい。

「いつまで甘えてるつもりだ! だらしのないやつめ!」

「うるせーな! 見捨てたくせに、今さらなんなんだよ!」

「そういうことじゃなく……まったくおまえは……情けない!」

とても不穏な雰囲気。どうしよう。口出しはしないほうがいいだろうか。

そのとき、体を寄せていた間仕切りをカタンと揺らしてしまった。

すると奥のふたりは黙り込み、やがてドスドスと足音荒く、ひとりが離れていく気配がする。おそらく、茂が立ち去っていったのだろう。

盗み聞きしていたことはバレていると思い、そっとふすまを開けると、気まずそうにあぐらをかいた大樹が、顔を赤くしてうなだれていた。彼もお酒を飲んで、少し酔っているらしい。

「大丈夫? お水もらってこようか?」

「いや……みっともないところを見せちまって……」

親父とは昔から気が合わないんだと、彼が言った。

いつも見下してきて、ケチばかりつける。嫌われているから、後継ぎとしても認めてもらえない――。

上擦った声で吐露される愚痴を、黙って聞いていた海花だったが、一度目線を下げて、それから再び顔を上げた。

他人の家族の問題に首をつっこむべきではないが、どうしても思うところがあり、口に出さずにはいられない。

「ずっと家族一緒にいられるわけじゃないよ。ちゃんと向き合って話をしたほうが……」

すると、大樹の琴線に触れたのだろう。激昂した様子で、彼は怒鳴った。

「あんたになにがわかるんだ!」

びくりと肩が震え、口を閉じた。お互いに驚きと後悔がにじむ視線が、ぶつかり合う。

「ちょっと。なんの騒ぎ? いい加減にしなさい!」

パンッと縁側のほうにある障子が開く。雅子が立っていた。

大樹はしかめた顔のまま立ち上がり、部屋を出ていってしまった。

雅子はため息をつき、海花を手招いて、持っていた皿をテーブルの上に差し出す。

お皿の中には、赤い宝石のような果物がぎっしりと並んでいた。ハウスから採ってきたばかりのいちごだという。

「まったく、お酒が入ると気が大きくなるんだから……ごめんなさいね。後継ぎの問題で、親子でこじれちゃって。ここ数年、ずっとああなのよ」

「いえ……私も、余計なこと言っちゃって」

勧められ、口に運んだいちごは甘酸っぱくて、ビタミンが体の隅々まで広がっていくような気がした。

それから、用意してもらった客間で休ませてもらうことにする。

慣れない枕で眠れるかなと不安になるも、よほど寝心地が良かったのか、すぐに意識は静かな闇の中へと吸い込まれていった――。

 

 

翌日、海花は東京へ帰ることにした。

警察にお願いしていた荷物も、回収が済んだと連絡があったという。

茂は朝早くから畑に行っているそうで、雅子が代表して見送りに出てくれた。礼を言い、玄関先で別れの挨拶を交わす。

「もう、あのバカ息子はいつまでいじけているのかしらね。海花ちゃん、またいつでも遊びに来てね! 約束よ」

「はい、ありがとうございます。本当にお世話になりました」

敷居を出てからも、こちらの姿が見えなくなるまで手を振ってくれている。本当に、人情味のあるステキな人たちだった。東京に戻ったら、お礼の手紙を送りたい。

大きな通りに出て、呼んでおいてくれたというタクシーを待っていると、すぐに見覚えのある自家用車が一台現れ、目の前で停車した。

窓が開いて、運転手の姿が目に入る。大樹だ。

彼は前方を向いたまま、ぶっきらぼうに言った。

「……お客さん。どちらまで?」

吹き出したくなるのをこらえ、助手席に乗り込んだ。

 

島原城のお膝元。水路に鯉が泳ぐ美しい街を、大樹と一緒に歩く。

取り戻した鞄は、海花の右手にしっかりと握られていた。海水にまみれて壊れるものは壊れたが、丸ごと返ってきてひと安心。

けれども、旅の終わりが近づいて――どうしてか、ふたりとも言葉少なになっている。

大樹は最後に、デザートの「かんざらし」の店に連れていってくれた。おいしい湧き水をいかした郷土のスイーツ。もっちりとした白玉に、甘い透明な特製の蜜がかかっている。

「ん~、おいしい~……」

「ほんっとうによく食うよな……」

気まずそうにしていた彼も、ここにきてようやく笑顔を見せてくれる。

食べるときが顔芸だと言われて、またも軽く言い合いになるが、ポンポンとした言葉のやりとりは、嫌な気分ではない。むしろ楽しい。

かんざらしは、特に好みの味だった。ほんのりと甘い、優しい味。

体に心に、命の水が染みわたるようだと思っていたら、ふいに涙がにじみ出た。

「ど、どうした?」

焦っている大樹に、あなたのせいじゃないと首を振る。

心境を伝えたいが、身の上話なんて退屈じゃないだろうか。だけど彼が黙っているので、そのまま聞いてもらうことにした。

本当は、誰かに聞いて欲しかった。そして彼なら、きっと受け止めてくれる。

「……私ね、ちょっと前に職場をクビになったの」

最初の就職活動で失敗して、ブラック企業に入ってしまったこと。

それでも職種は好きだったし、「いつかは正社員に」という言葉を信じて、がむしゃらにがんばってきたのに、最後は裏切られたこと。

そして、女手ひとつで育ててくれた母が、二年前に病気で亡くなっていること――。

家に帰っても自分を待つ人はいない。独りぼっちで、生きる目的を失っていたことも。

母のことを告げたとき、大樹はハッとした様子を見せていた。

「俺、なにも知らなくて……」

「ううん、謝らないで。私のほうこそ、無神経だったと思う。初対面のときも、失礼な態度をとってしまってごめんなさい。あなたのおかげで、とても楽しい旅になった」

そして、この地へと導いてくれたメモをテーブルの上に広げ、そっと指先で撫でる。

「このメモは母が遺したもので……私が、なにもかもうまくいかなくて部屋に引きこもってるときに見つけたの。多分、母が入院していたときに書いたものだと思うんだけど、なにを思ってこれを書き記したのか、気になって……。でも、母の気持ち、なんとなくわかった」

「お母さんの故郷、島原なのか?」

「うん。だけど、母がまだ子どもの頃に東京に移り住んで、それっきりだったって」

島原そうめん、雲仙ハム、具雑煮。どれもこの地の郷土料理だ。

ただ母が故郷の味を食べたかっただけなんて、そんなはずはないだろう。きっと娘に食べさせたいと、海花のことを思いながら、覚え書きのように記したに違いない。

心が弱っているときにこのメモが目に入ったのは、偶然とは思えなかった。きっと天国の母が、「元気出せ。解雇のひとつやふたつ、人生の中では小さなこと!」とはっぱをかけてくれたのだ。昨夜、雅子が振る舞ってくれた具雑煮を口にして、そう確信した。

「島原美人の雅子さんの具雑煮、すっごくおいしくて、元気をもらえた。食べてるとき、お母さんのことを思い出して、泣きそうだった」

そう告げると、大樹は頭を掻いた。そして、声のトーンを落として言う。

「昨夜は俺も、怒鳴ったりして……。ずっと家族一緒にいられるわけじゃないって、そういうことだったんだな。事情も知らずに、本当にごめん」

大樹は、沈痛な面持ちでうつむいた。母親を亡くした海花の気持ちを、慮ってくれているのだろう。

それから静かに、彼も心の内を語りだした。

自分は農家を継ぐつもりでいたのに、父親から「甘えるな」と言われ、意固地になっていたこと。目指すべき道を見失っていたことを打ち明ける。

「放り出された気がして、自分は必要とされてないんだって意地を張ってた。それなのに、努力するわけでもなく、ずっとフラフラしていて……本当に恥ずかしいよ」

「放り出されてないよ。お父さんもお母さんも、あなたのことを信じて見守ってると思う」

海花は、昨晩少しだけ雅子から耳にした話を伝えた。

 

『そりゃあ息子が後取ってくれりゃ、あたしも旦那も、嬉しいがね。農家の息子だからというだけで、継いでほしくはない。そんな甘い世界じゃない。自分の意志でやりがいを見つけ、選んでほしいから、突き放したんだ』

 

大樹は、それを聞くと、再びテーブルの上に視線を落とし、考え込んだ。

海花は彼の心の整理を邪魔しないよう、黙ってスプーンを握り直し、かんざらしの甘い蜜を最後まで味わうことにした。

彼もきっと、あがいている――自分は、どうありたいか。なんのために働くのか。

理想の未来は、作るものなのだ。

 

その後、大三東駅に立ち寄った海花は、黄色いハンカチに願いを込めて枠に掲げた。

東京に帰る海花を見送ろうと、待っている大樹のもとへ駆け戻る。

彼は、なにげない表情に興味を隠し、尋ねた。

「なにを書いたんだ?」

「内緒!」

背景ではためく布地には、記号を一文字、ハートマーク。

それは、これから必要となる生命力の象徴か、淡い恋の実りを願うものか――。

 

――成長した自分になって、ここへまた戻ってきたい。

海と山と大地。そして温かな人たちに、逢いに来る。

(終わり)